田尻祐一郎「徳川思想と『中庸』」
- 作者: 市來津由彦,田尻祐一郎,前田勉,中村春作
- 出版社/メーカー: 汲古書院
- 発売日: 2012/04
- メディア: 単行本
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●内容要約
はじめに
・『中庸』はいかなる問題を徳川思想に投げかけたのか考察
→東アジア海域社会の思想運動を捉え返す契機に
一、朱子学と『中庸』
・『中庸』の再定義=朱子学における〈四書〉の成立
=『中庸』は、「孔子伝授ノ心法」を明らかにするため子思によって上梓された(程子)
・「中庸章句序」:「天理」への「復性」という『道統ノ伝』(真理)を伝えたテクスト
二、『中庸章句批判』
・徳川儒教には早くから『中庸章句』批判が存在(≠中国・朝鮮の儒教)
ex仁斎:『中庸』へのテキスト・クリティークにより、『論語』『孟子』に古義を見出す
=〈四書〉の解体
徂徠・懐徳堂へ
⇔『中庸章句』擁護陣営:闇斎学派(=朱子その人に学ぶという道統意識)
三、鬼神
・仁斎:「鬼神」への不信=人倫的世界の視座
徂徠:不可知の「鬼神」を聖人の「道」に包摂→その後の思想史に影響 ex国学
※中国・朝鮮では、「鬼神」は理気論と分かち難く結合(=「礼」の実際的存在)
≠徳川儒教(=非制度的儒教)
・篤胤:「天」を「天津神」にパラフレーズすることで、『中庸』には「鬼神」を尊重する心情が述べられているとする(⇔仁斎)
=制度化されていない徳川儒教の経書解釈の一コマ
四、「人道」と「誠」
・『中庸章句』批判の流れ=抽象性・観念性の忌避と卑近性・平常性の重視
ex素行・仁斎・徂徠
=「大宇宙―小宇宙として相似形のように捉えることへの忌避感覚」(66頁)
(≠中国・朝鮮の儒教)
・「誠」もまた、心情的側面に傾斜する形で捕捉される ※形而上性は、様々な形で担保
←心情性に関しては、和歌・物語の側からも問いかけられる ex国学
おわりに
・徳川日本という固有の〈場〉における儒教の展開
→問題を中国・朝鮮の側に投げ返すことで、東アジア海域社会の思想運動が明らかに
●疑問点
・徳川日本という固有の〈場〉における儒教展開という一貫した論述
根拠は、中国・朝鮮とは違い、制度化されていない徳川儒教
→結局、制度的問題に還元される儒教の変容という議論にしかならない cf「日本化」論
東アジア海域社会における思想史という意味はどこに?
・『中庸』が読まれる際のテクストの性格・時代性 cf辻本雅史『思想と教育のメディア史』
●史料紹介
○神道の側からの『中庸』「鬼神」批判―松岡雄淵(1701〜83)―
・「鬼神者二気之良能也」ト云コトアル。其外、陰陽鬼神ノコトヲ説タ語大分アルガ、アレガ聖人ニイタラネバ、ネカラ知ラレヌデナヒ。ミナ書ニ残リテナフテハ、何モイハレヌハセヌガ、幸ニ孔孟程朱ノ書ガアルユヘ、其書ニ付テスマスニ、トクトハスマヌ。中庸ノ十六章ノ鬼神ノ説モ、ワルウイヘバ推量ゴトデ、根ガヌケヌ。荻生ガ云タヤウニ、程朱ノ云ヤウナレバ、ツメテ云トナイモノニナル。
=徂徠の説を斟酌しながら、『中庸章句』十六章における陰陽二気としての鬼神解釈を「ツメテ云トナイモノニナル」と捉えており、鬼神の非実在性を批判。
・開闢以来ノ神霊ユヘ、何ホド高大ナリトイフトモ、人ノ神霊ダラケナランガ、天ニソウ/\マイ/\ト、神霊ガマイツイテ居ルナラバ、セウコトハアルマイト云タトキニ、イヤソウデナヒ、形ハ気ニヨツテナルモノデ、気ト云モノハ消長アリキ、ヱテユケハ霊モトモニツレテ分散スルト、カウ了簡シテ云タトキニハ、祭テ感応ハナヒ筈也。先祖ヲ祭レバ、感格アル。スレバ霊ハ消ヌモノ也。気ハ消息スレトモ、霊ハ消ヌモノ也。霊ガ消ルナレハ、先祖ヲ祭ルモ虚霊也。虚霊ニ感応ハナヒ。〔中略〕カウ云センギニ成タトキニハ、儒者ガ云分ニ、イヤソウ云コトデハナイ、ソレハ神道者ノ文盲ナト云モノジヤ、ナルホド霊ハ一己/\アリハアリテモ、皆天ニ帰スル、帰スルカラハ、天気ト一枚ニナツテ流行スル也、其流行スルナリニ、ヲノヅカラカタキウチノ神霊ハカタキウチノ神霊、カタキノ神霊ハカタキノ神霊ト、ナルホド分デモアレトモ、天ニ帰スルカラハ、造化ノ気ト一枚ニ成テ流行スルト、カウニゲ口ヲ云也。
=陰陽合散によって鬼神を捉えてしまえば、祖先祭祀は空虚なものになってしまう、という批判。
・サテ死スレバ、トモニミナモトノ一元気ヘモトルジヤガ、其モトノ一元気ヘモトリテ造化トトモニ流行スル、ソレナレバ、此方モ其方モ、同コト。ソレガ一元気ヘ帰シタトキニ、又陰陽五行ガ正気ニ感遇シタトキニハ、今迄ノ内記ガトコノ太郎兵衛ニナラフヤラ、左市ニナラフヤラシレヌ。其気ガ又偏気ニモシ感ジタトキニハ、犬ニモナラフ。モトヘカヘリ一元気ト一ツニナリ、造化トトモニ流行シテユクウチニ、ヒヨツト牛カ犬カ、何ゾニ感ジタナラバ、牛ニモ犬ニモナラフ。スレバ釈氏ノ云ヤウニ、アレハ昔ノ牛ノ生レ替リ、犬ノ生レ替リト云ヤウニモアリ。又アレハ昔ノ何左衛門ナレトモ、今犬ニナリテ居ルト云ヤウニモアラン。
=死によって一元気へと帰するのであれば、祭祀によって来格する鬼神をどのようにして特定することができるのか、という批判。
・先祖ヲ祭レバドフモ情ニヤマレヌ所カアルユヘ、ソノ情ノ尽ヌウチニハ、祭ラネバナラヌト、カウイハウガ、ソレハナヲワルイ。ソレデハ吾情ヲ祭ルト云モノ也。畢竟ワガ心ヲ安ンズル為ノ祭リニテ、鬼神ハネカラナシモノニナルヌレバ、虚礼ト云テ、処ロデハアルマイ。トカク詞ガツマラヌ。ソウカトヲモヘバ、歎息之声ヲ聞ク、トアルガアレガウソデハアルマイ。スレハ、タシカニアルホドニ祭レ、トナゼイハレヌゾ。ドフゾアルト云テモライタイ。
=来格の如何を問わず、子孫の心情の側から祖先祭祀を行うと主張する儒家への批判。
cf懐徳堂における「鬼神の道徳化」
・ソレナラバ、本ノコトハドウスルガヨイゾトイヘバ、ソコガイザナギノ日之少宮ニトゝマリトアル也。其方デモ拙者デモ、天ニ帰シテヲイテ、日之少宮ニトゞマル也。其トゞマリヤウハ、ドウゾト云センキ也。爰ガ大センギ也。コレヲ生死ノ落着ト云也。
=結局、結論として導出されるのは、「神代巻」に淵源する「日之少宮」。
※引用史料:松岡雄淵「蓼倉翁日之少宮秘訣」(『江戸藪左京問書』京都大学附属図書館所蔵写本)1732年成立か
文責:松川雅信