市來津由彦「序説」

江戸儒学の中庸注釈 (東アジア海域叢書)

江戸儒学の中庸注釈 (東アジア海域叢書)

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・『江戸儒学の中庸注釈』全体の方法論的枠組みを示す。

●p3
中庸注釈行為と書物を、「東アジア海域文化交流の展開の中に位置付け、思想文化運動としての東アジア近世儒学を捉える視座を更新すること」
●p4
「第三段階の研究へ」
・「立ち現れ」るその「中国」が、江戸期や朝鮮朝、そもそもの中国社会における諸問題の中でどう機能するかを問い直すこと」
・その問い直しの中から四書注釈を検討することの必要性
・プラス「個別、具体的に語ること=第二部
●p5
・「中国」とは固定されたものではない。=「中国」の脱中心化
・「中国」とは何かを常に問い返すこと。
p5−6
◎<実態中国社会>と<理念中国文化>という枠組み
<実態中国社会>固定化されているものではなく、いつも揺らぎの中に在る。
<理念中国文化>「中国」をひとまとまりのものとする作用をもつ(経学など)が、やはり揺らぎの中に在る。
→実態中国の変動が理念中国文化に揺らぎを与える。
→それが他社会へも伝播。
=自身がみたい「中国」を構成していく。
●p7
・漢字文字の問題
→漢字の脱中心化
=普遍面と同時に漢字との距離の置き方で独自の文化という視点→訓読の問題

●p8
四書注釈に沿って
・近世以前の中国
人格神的な「天」観念、統治の正統性を担保
後漢社会の崩壊から唐代まで=新たな再生
→「人」の誕生=一人一人が等価であると同時に異なる存在である=「理」の誕生
●p9
「人」のあり方を語る哲学→四書の発見→四書学の成立。
四書が個別に注目された段階から北宋の展開を経て、四書を一体とするものへ。
朱子の四書集註
・これらは実態中国の変動から生起される、現実には科挙のシステムにもとづく
→しかし「人」の普遍性という問題は「中国」を越えて他社会へ。

●p11江戸期の中庸注釈の課題
・四書集註=四書を相互連動するものとして捉える
大学=理に基礎づけられた人としての学び、「綱領」
中庸=人としての存在のありかたとその実践、性善説、天・命・性・道・教・鬼神
論語孟子=具体例

・明代中国=陽明学の形成により『大学』のテキストクリティーク→一体性への揺らぎ
=四書学と四書論
・江戸初期では併存→多様な中庸解釈、誠、鬼神の哲学的考察
●p12
科挙制のない日本ではテキスト問題が前景化、実態中国社会の後景化
◎「人」という等価性の存在、普遍化の問題
・近代への射程
科挙という文化枠からはずれた日本社会においては、その普遍面がそのままに近代につながるようなものとして定着、深化させら得たりはしなかった」
「四書学の普及による社会の知識水準の向上は近代の受け皿を担うものとしてはたらいた」

○「中国」「日本」「朝鮮」etcを中心化することなく四書の注釈を読み解くこと
=「近代を包み返す」「近代」を問い直すこと
○訓読、漢字の問題
漢字文化圏儒教文化圏など共通性を語るのではなくその内部の差異を問うこと。
・絅斎=朱子朱子後継、仁斎等とのズレ、語り口の意味。

文責:石黒衛