それ本邦学校を設け施すこと(335頁1行目)〜最後(336頁)まで

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現代日本語訳】

そもそも日本で学校を設置して施行することは、天智天皇の治世の朝廷に端を発し、文道を重視することは、嵯峨天皇の治世に端を発する。菅江家には分彰院が興った。源、藤原、橘、和気諸氏にもそれぞれの学校が興った。大宰府には学業院が興り、足利学校金沢文庫にもはるかに及んだ。しかしながら、それらの所蔵する書物は『史記』『漢書』『後漢書』の三書や、陸徳明による『易経』『書経』『詩経』『周礼』『儀礼』『礼記』『春秋』『孝経』『論語』の九経であり、祭祀に用いる食器を学校に並べ、その講義の内容は紀伝道明経道明法道算道の四道や、礼節・音楽・弓術・馬術・文学・数学の六芸であり、粗末なお品物を孔廟にお供えしている。悲しいことに、先人の儒者は無知であり、何一つ皇国の学問に及んでいない。痛ましいことに、後進の儒者の軽率で粗略であって、誰も古道が喪失されることを嘆かない。そのため、異教がこのように盛んであり、市中に行われている低俗な論議は津々浦々に波及しており、吾が道はこのように衰退し、不正な説や乱暴な行為が古学の行われぬすきに乗じて浸食している。

自分の本心を感じ、学業を国学(草稿本:倭学)からはじめ、世の中の動向が道理に逆らって物事を行うのを先例などに照らして考えて、万世の後まで子孫が継承すべききっかけを残せ。最初から事業をやり遂げにくいことは、国を治めるための重大な事業ではないか、しかし継続すれば力を発揮しやすいことは、本当に永久に朽ちることのない盛大な仕事ではないか。私は自身が愚かであるとはそれほど思っていない。私が決して譲歩しないのは注釈についてである。国字の誤りの多くても、後世にもまだ正しく理解できる者は出現するだろう。古くかつ大切な書物がまだ残っているからである。だが、古語の解釈の少なくても、大昔から解釈に精通する者がいるとは思われない。解釈が妥当であるという証拠を示せるはずの文献が不足しているからである。国学(草稿本:古学)を講義しなくなってから、実に600年(草稿本:数百年)である。言語の解釈をしたのは、わずかに3、4名だけである。だが、こうした優れた人であっても、目新しさや珍しさを競い合い、ずば抜けて優れた解釈を施したわけではない。最重要点をここに見出すことなど出来はしない。

過去の言語に精通しなければ、過去の言語の意味は解明できない。また、過去の言語の意味を解明できなければ、過去の学問を復興することはできない。過去の聖王の教えを排斥し、過去の賢人の意思がほとんど荒廃しているのは、言語の学問を講義しないこと、この1点によるのである。これが、私が一生涯精力を傾けて過去の言語の解明に尽力してきた理由である。思うに、学問の興廃如何は、やはりこの行動をするかしないかにあるのである。幕府の重臣の方々に私の意思を留め置き理解していただくようお願い申し上げる。

【考察】

「古語通ぜずんば(中略)古学復さず」(過去の言語に精通しなければ(中略)過去の学問を復興することはできない)は、荷田春満の主張が最も端的に表出している場所の1つであろう。逆に言い換えれば、「古語」に精通することで「古義」を解明でき、それがさらに「古学」を復興することになる、ということである。「古学」を復興しようとするのは、「異教」や「街談」、「邪説暴行」を排除せんがためである。これらは「皇国の学」もしくは「古道」に劣るはずの「儒学」が批判されなかった結果として表出したものである。この一連の作業を達成するために、その作業の根本となる「語釈」に、春満は最も力点を置いているのである。衰退の一途を辿る「古学」の復興を、「儒学」の批判によって図ろうとするこのような春満の視座には、一見すれば「死産」されたものとしての「日本語の誕生」*1を見ることもできるだろう。

しかし、この「死産」の「日本語」は、「雑種性を異常事態とみる多言語性への移行」*2の最中で生成されることを踏まえれば、春満の発言に「日本語」の表出を見ることは出来ないのではないか。そのことは、『創学校啓』が漢文によるテクストを想起するだけでも理解出来よう。本居宣長が『古事記伝』において、「漢字・漢文エクリチュール」と対立させながら、美しくも文ある古の言語としての「口誦のエクリチュール*3を設定したことと対照すれば、春満の発言がむしろ「雑種性を許容する多言語性」*4に属していることはより一層明確になる。第1回報告の際に確認したが、春満が「維新」、すなわち「易姓革命」の論理で徳川政権の成立を捉えていることも踏まえると、春満と宣長との間にはやはり相当の位相の差があると言わざるを得ない。したがって、通俗的に「国学者」をもって春満を称することには、やはり再考の余地があると言えるだろう。

(文責:田中俊亮

*1:酒井直樹『死産される日本語・日本人 「日本」の歴史―地政的配置』(新曜社、1996年)、187頁。

*2:同前、185頁。

*3:子安宣邦本居宣長』(岩波書店、2001年、初刊は1992年)、82頁。

*4: 酒井前掲『死産される日本語・日本人 「日本」の歴史―地政的配置』、185頁。