臣少きより(334頁1行目)〜無言の誠有らん(335頁1行目)まで

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〈本文訳〉

※斜体は、報告者が上手く訳すことができず、原文のまま記述したもの。

私は若い時分より、寝ている時も、食べている時も、異端を排撃することを信念としており、この信念をもって学び、思っており、古道を再興するまでこの信念をすてることはない。今もし、奮い立ち、勇気を持って、是非を判別しなければ、後に必ず耳を泥で塗り、心を塞ぐようになって、邪正を混同するようになってしまう。退こうと思うならば、古道はすでに漂って、わからなくなり、進もうと思うならば、老いて、病気になり、力尽きる。ためらって決定することができず、狼狽して何をなせばよいかわからない。伏してここで以下のようなことを望む、京都伏見の中か、あるいは東山の地と西の郊外の間かに、幸いにして空き地を賜ったならば、ここに

「皇国の学校」を開きたい。そうであるならば、私が若い時分より集めてきた秘蔵の書籍が少なからずあり、年老いるまでの間に校訂してきた古記実録もまた多くある。これらを全部ここに集めて、今後の考察に備えるのが良いだろう。片田舎の人士で、古学の書籍を手にしがたいと嘆く者もいるだろう、また文化的施設にめぐまれぬ土地にあって、志はあっても未だ果たすことのできない者も多いだろう。そのような人々に、これらの書物を貸して読ませれば良い。一冊の書物に通じていても、百王の澆醨ここに知らん。古の物事を洞察すれば、万民の苦労を救うことができる。幸いにして、世上に名の聞えた秀才人がいれば、則ち尽敬王の道地に委ねず、もし詩文の才能がある人材が出れば、柿本人麻呂の教えが再び国を覆うであろう。六国史が明らかになれば、

官家化民の小補だけであろうか。いやそうではない。三代格が勃興すれば、また
天子の位にとって悠久の大益になるだろうか。万葉集は国風の和歌の純粋なものであり、これを学べば、見聞のせまい愚者をそしることはなくなるであろう。古今集は和歌の中でもえりぬきであり、知らなければ言葉を知らない者と自誡するであろう。

〈論点〉
荷田春満は、伏見あるいは東山に「皇国の学校」を設置することを望んだ訳であるが、
 この「皇国の学校」は、具体的にどのような階層の人々を視野入れて設置する予定であったのだろうか。
・当該期にあって、「古道」を復興することは、どのような意味を有したのであろうか。

(文責:松川雅信)