竜温「総斥排仏弁」第19回史料精読―「此仏法漸滅ヲ期スルハ」(p141)〜「評破スル処ナリ」(p142)

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●内容要約

 このように仏法が徐々に滅亡してゆくのを期待していることは、かの平田篤胤も全く同じではあるが、しかし平田が言っていることは、さらに激しい。『俗神道大意』二巻の四七丁右に、「もっとも、今の世の中は仏法が隆盛しているかのように見えるが、中世の隆盛に比べればひどく衰退していることは、本居宣長の言った通りで、仏法が滅びる兆候は既に現れている。これはちょうど、直日の神の御霊の働きが現れつつあることの証拠である。古学の側から見れば、よくわかることだ。かような世の中に生まれたことは、幸せの限りであり、ましてや正道が広まっていることは、本来の姿に帰ることであって、これが速やかになされていることは言うまでもなく、本当に愉快なことだ。時は既に熟しているのである。よって篤胤の導きに従う人々は、昼夜を問わず励み、ひとまず本来の姿を頑強なものにするようにつとめて、この機会を失わないようにせねばならない。」とある。この「本居宣長の言った通りで」というのは、本居の『鈴屋答問録』の一八丁左で「今なお仏法が隆盛しているとは雖も、少しずつ衰退してゆく兆候は既に多く現れている。してみれば後には段々と滅びゆくに違いない。」と述べられているものである。こうした篤胤らの言及を耳で聞き、目で見ても、ただゆったりと傍観している人を、どうして釈門の徒と呼べるだろうか。篤胤のごとき者は、仏法が滅亡することを願っており、死期にあって篤胤が言い残した言葉は、「私のこの志を継いで、仏法を批判し滅ぼそうとする気持ちがなく、少しでも仏に帰依するような者があれば、同門の者達で集まって罰を加え退けよ。」というものであり、そうした書付を残したという。かの平田は、しばしば「親鸞日蓮も、我道ヲ開キ初メタレバ、タゞ一人也」と口癖のように言ったと聞いている。彼が著した数部の著作や、今見た『経済問答秘録』は、今日にあって何の差し障りもなく刊行されているほどのものであるため、後代にまで残ってどのような害をなすかということを推し量ることができない。『草茅危言』や『出定笑語』が世に出るより前に、かくまで排仏の輩は多くなかった。
これは全部、天魔のなすところであると思われる。平田の論じる神道には、専らキリスト教に類似するところが数多くある。そのことについては、別稿で論じた。近頃、排仏の書の数は少なくない。その他にも、どのようなことが密かに行われているのか類推することはできないが、中でもこれは最も甚だしいものと思われるため、この『経済問答秘録』の煩をいとわず、批判を加えるところである。



●論点
○「平田ガ談ズルトコロノ神道ニ至リテ、頗ル耶蘇教ニ合スルトコロ数多アリ。」(142頁)
=竜温における反批判の対象として特筆されるのは、キリスト教・西洋天文学・篤胤・『経済問答秘録』。
 →そのうちの、二者が類似するものとして位置付けられている。

 cf、平田篤胤霊能真柱
・「遙西の極なる国々の古伝に、世の初発、天神既に天地を造了りて後に、土塊を二つ丸めて、これを男女の神と化し、その男神の名を安太牟(アダム)といひ、女神の名を延波(エハ)といへるが、此二人の神して、国土を生りといふ説の存るは、全く、皇国の古伝の訛りと聞えたり。」(32頁)

・「実ハ遠西人ノ製レル、測算ノ器ヲ以テ精クコレヲ量ルニ、日径三十二万九千五百里余リ、月径九百三十八里余リ、地径三千四百三十里余リ、月ノ地ヲ離ルゝコト六十万三千百里余リ、ト見ユル也。然レバ日径ハ地径ヨリ大ナルコト九十八倍余リ、月径ヨリ大ナルコト三百五十一倍余リ。サテ地径ハ月径ヨリ大ナルコト三倍半余ニアタルナリ。」(71頁)

・「また、予がこの天日は動かで、地と月とは、旋るといふ説を、外国人の説に因れりなどな思ひそよ。此は、古伝の趣に灼然く見えたる事実によりて、考出たるなるを、その適に外国人の説に似たるは、彼が強に考たる説の、古伝に合るにこそあれ、我が説の、彼に似たるには、非ずなむ。」(89頁)

 →篤胤は、キリスト教ないし西洋天文学を己のタームによって読み替えはする。

文責:松川雅信