竜温「総斥排仏弁」―「三、別挙此頃排仏家」(p128)〜「合セミルベシ」(p130)

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●現代語訳

※□は、報告者が訳出に疑問を感じた箇所を指す。

三つ目、特に近頃の排仏家を取り上げて論破しようとするうちで、『経済問答秘録』は、平田篤胤のような仏教に対する悪言雑言ではない。これは、今日における国の経世済民に仮託して、論じているものである。また、平田の著作は、とりわけ仏法に対する誹謗を好む者だけが求めて読むものであるが、この『経済問答秘録』はそうではない。今日における国の経世済民を論じているがゆえに、諸国・諸藩の人間あるいは政に関心のある者が、国のためにと読んでみると、その中に「僧道の部」があるので、わざわざ目につくような形で編集したものと思われる。よって、実は平田の著作より恐ろしいものである。ただし、『経済問答秘録』は、活字版で三十巻もあり、すべての著作を手に入れることも難しいゆえ、ここでは、中でも聞き捨てならぬ箇所を挙げて論じておく。この著作のうち、十七・十八・十九・二十巻の四巻は、すべて「僧道の部」と名づけられている。うち第十七の最初に「客が言う。本朝は、仏法の力を借りずしては治まらないであろうか。仏法が我国に伝来して、既に約1200年余りを経た。伝来以前の歴史は約1300年だが、今日より上手く治まっていたとは、いかなる所以によるものか。答えて言う。そもそも世界五大洲には、四つの教がある。」と述べて、イスラム教・キリスト教・仏教・儒教を列挙し、その次に「仏法は釈迦が初めて作ったもの」と述べる。これに関しては、「例えば、儒教のようなものは、孔子が自ら作ったのではなく、古の堯舜ら聖人から起こってきたものである。他方、仏教は、釈迦が自ら作ったものである。」と述べている。仏が生まれた国の父母の名などを色々と調べ挙げ、その次に「仏教の組立ル処は、取るべき所のない事実無根なものであるがゆえ、たとえその説が広大であると雖も、ただ、今の塵の世を去って自らの身を修めることを主としており、治国平天下には何の益もない。よって、仏教をやめようと思えばやめることができ、仏教がない時はなくても済むものである。」と述べる。この最初の問答が、一部ニ蒙ル大綱ナリ。かかる間の論述は、穏健でなんとなくぼんやりとした論述のようであるけれども、今日日にあって、仏教にとっての難題は、ただこの論述にある。平田の『伊吹於呂志』には、「儒仏の二道が御国になくては世を治めるための政が上手くいかない、ということは決してない。かような二つの道が未だ伝来する以前でも、御国は上手く治まっていたではないか。」と述べられている。これは例の本居流であって、儒教までもを嫌悪するものである。彼らが言う道とは、人の人たるべき道であり、天下国家を治めるほかに道というものはない、というものであって、仏教が因果応報・地獄極楽を説くのも、国を治めるための方便の説にすぎないと言うところであろう。転迷開悟の法などは、全く信じないで、特に嫌う。仏教というのは、己が身ばかりで、世を捨て、心を磨くよりほかは何もない、と言うところである。かような論述より以下も、四巻にわたって問答を述べている主旨は、最初の問答ノ義ヲ成立シテ「これより、事実無根で何の益もない仏説が世に広まることを避け、仏僧の非を罰して、終には自滅させようと思うよりほかない。かかる自滅を目論むというのも、主眼は真宗にある。もし急に事をなせば、災難・一揆などが起こるに違いない。石山での合戦の事例もあるため、自滅させるのが良策である。」と述べている。第二十をあわせて参照されたい。


●論点

・近世後期における経世論の立場からの排仏論 (≠近世前期の儒家の排仏論)としての『経済問答秘録』=「実ハ平田ノ作ヨリモ恐ルベキモノナリ。」(129頁)
  cf、武陽隠士『世事見聞録』
   「当時は僧侶は御代の結構なる故に、さらに困窮を知らずして衣食住を極め、安楽に身を過ごすこと無類なり。殊に世に養はれ人の陰に立ちゆく身の程を忘れ、ことごとく高慢に構へたるものなり 」。
   「今右の如く数百万人の寺社人等、国々在々に誇りて驕奢安逸を百姓の上に極め、武士の上に至り、また強欲・非道・法外・人外を世界第一に尽せり 。」
→これに対する仏教側の対応は?

・「仏法ハ釈迦初テ作為」(129頁)
 ⇔儒教
  「儒道ハ孔子ノ自作ニ非ズ、古堯舜ノ天下ヲ治メ玉フ王道ニテ、君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友ヲ五倫ト称シ、教ユルニ忠信孝悌ヲ以テス、故ニ天地ノ間ニ生レテハ、縦ヒ儒道ヲ忌ンデ棄ント欲スレトモ、一日モ行ハレズシテハ叶ハズ、皆不レ知不レ識シテ聖人ノ道ヲ蹈ミ行ナリ、仁義礼智信五常ノ道ハ、人ノ大綱ナレドモ仏法ニハ是レ無シ 」(正司考祺『経済問答秘録』)


文責:松川雅信