竜温「総斥排仏弁」―「謹デ」(p106)〜「欲スルトコロナリ」(p108)まで

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【現代語訳】

謹んで、同志の諸兄弟に申し上げる。仏法に帰依する者はみな、常日頃より、未来永劫にわたり、仏法を正しく護り伝え(令法久住)、またすべての衆生に対して、仏から授かった安寧と功徳を分け与えようとする(利楽有情)の気持ちがなければならない。とりわけ我が帰依する浄土真宗は、末法の世となった今の世にふさわしい仏法として、念仏の教えを掲げ、自ら念仏に励み、他を教え導く(自行化他)の身であるからこそ、永劫にこの教えが世に根付くことを願うべきである。仏法が東漸して以来、本邦は、すべての衆生を救うことを重んじる「大乗」の教えが最も適っている土地柄であり、今日に至るまで、その教えは遍くゆきわたっている。さらに上古の時代から、政事を司った帝や王たちも、代々にわたり仏法を篤く敬信していた。しかも公家・武家の両方とも、仏法に帰依しており、重く用いられてきたので、その流布に障害となるものはこれまでなかった。しかし訝しいことに、近頃では、排仏を唱える輩どもが盛んに現れた。そのような輩が、我が仏法の繁栄にたいして、憎みと嫉みの念を抱き、様々な悪口を連ねた書物を著し、その考えを世に広めようとして幅を利かせている。しかもこの頃はなんとも不穏な時勢であり、この機に応じて、仏法を打破しようと企む輩どもが跡をたたない。実に嘆かわしいことである。しかしこの国の政事は、旧来の教えと相違することがなく、はたから見れば、仏法が繁栄しているように見えるかもしれない。しかしながら、仏法の中でも最も仏の教えに忠実であり、この世の苦しみ(生死出離)からすべての衆生を救おうと願っているのは、ただ浄土門だけであり、とりわけ我が真宗以外にはない。そのようなことから、真宗を信じている多くの者は、名もない卑しい身分の人々である。さらに排仏を唱える輩どもは、とても勢いがあり、官位の高い家柄の人々にこのことを訴え、その信心さえ失わせようとしている。

このことには理由がある。仏法はもともと非常に奥が深く、その見識も広いので、世の中にあるどの教えよりも優れている。上古の時代は、人々の心も素朴で純粋だったので、身分の上下貴賎にかかわることなく、人々はみな仏法を敬い信じていた。しかし、今の世となるにつれて、邪な考えが盛んになり、次第に人々は仏法を信じることが出来なくなった。しかも仏法を何の根拠もない荒唐無稽な代物だと決め付けたのである。古の時代では、見識も徳も兼ね備えた高僧たちが多かったが、今の世では、僧侶が徳と行動も兼ね備えないだけでなく、加えて風紀さえ乱すようになり、仏法を斥けようとする輩どもは、その悪弊を数え上げては、悪口を連ねて罵るのである。実に聞くにも忍びない有様である。もともと仏法とは、なんとも不可思議なもので、その人の前世に因縁がなければ、信心が生まれることはないと伝わるような教えである。そのため、それを信じる者と誹謗する者が存在することは、仏法が世にあった時代から、中国でも本邦でも何も珍しいことではない。しかしながら、とくに本邦は、身分の上下貴賎にかかわらず仏法を人々が敬い信じており、その点で中国よりも優れている。たとえば明朝の僧侶たちは、本邦を羨ましく思い、「この国こそ仏法の国である」と驚嘆したのである。このことにもまた、詳しい理由がある。中国では、王の姓が連綿と続かず、王の代がころころと変わるために、代が変わるたびに仏法は次第に衰えてしまった。さらに中国では尊崇できる神も存在せず、仏法も根付くことはなかった。しかし本邦では、とくに深く大きな因縁で結ばれ、仏法はこの国の隅々まで行き渡ってからというもの、もう千年以上にもなる。しかも流布の障害となるべきものは何もなかった。

しかし近頃では、仏法を誹謗する輩どもがあまりにも多く、ここ五・六年くらいは、その行動は度を超している。仏法東漸以来より、今日ほどひどい有様は聞いたことがない。これ以上、どのような排仏家たちが現れて、いかなる害悪を起こすかどうかさえ解らない。仏門に帰依し、さらに志がある者ならば、今日の状況は驚くばかりである。『梵網経』で、「一言でも仏法を誹る声を聞けば、三百の剣でその人の胸を刺すべきだと思え」という言葉にもあるように、これは仏が遺した戒律でもある。しかし今では、仏・菩薩を塵や埃のように誹謗し、「仏法は世の中を惑わす邪道な教えであり、それに加担する僧侶はすべて国賊である」と唱える声が、道端に溢れかえっている。その現状さえ知らず、そのことに憂慮の念を抱かない者が、どうして釈尊の遺弟だと自ら称することができるのか。だから今こそ、この書を著して、このように仏法を誹謗する輩どもが現れる時勢となった原因を示し、また厳しく仏法を護るよう注意しなければならないことを、前もって論じたいと思う次第である。

ここに排仏家による邪道な考えを斥けるために、四つに大別して詳しく論じる。一。仏法を打破しようとする邪道な考えをすべて連ねる。二。その中でも、とりわけ近頃の排仏家たちを列挙する。三。その輩どもをなぜ斥けなければならないのか。その理由について詳しく論じる。四。かかる輩どもがいかにあざとい方策を練っているのか。簡潔に示す。まず、「仏法を打破しようとする邪道な考えをすべて連ねる」とはどういうことか。つまり、仏法がインドから起こり、中国、そして本邦へとその教えを広めようとする際に、障害となる四つの邪道な考えが、四つ存在する。一。地球を円体であると主張する天文家たち。二。本邦に入港しているキリスト教の宣教師たち。三。狭い見識しか持たない儒者たち。四。根拠のない臆説を広めようとしている神道家たち。今日において、我々が仏法の敵として看做すべきは、この四つの立場にいる輩どもだけである。だいたい、敵が門外まで迫っているというのに、枕を高くして安眠する者などいるだろうか。その勝敗や強弱に関わらず、かかる輩どもには注意しなければならない。もし、敵を前後に受け流して、その多数は敗走したとしよう。しかし、もし敵が四方を囲み、内にも外にもいるとするならば、誰もが驚くであろう。四つの立場の中でも、始めの二つは外から起こったもので、後ろの二つは、我が国でも尊重されてきた儒教神道である。さらに神道は本邦における教えであり、儒教は世間の聖人が起こした教えである。この二つの教えは、仏教と同じように、世間では同じ教えとして知られているので、その考えのすべてが間違いであると言いたいわけではない。しかし、その教えの正しい心を何も教えず、ひたすら仏法だけを憎んで嫉妬するような類の輩どもこそ、我が仏法を打破しようとしている敵だと看做すべきである。ここではそれを防ぐ方法について、少し論じたい。

【担当箇所の論点】
本朝ハ大乗相応ノ地ニシテ(p106)
→「大乗仏教」の教えが適っている土地としての「日本」。

仏法繁盛トミユレドモ、中ニ於テマメヤカニ死出離ヲ願ヒ求ルハ、唯浄土門、殊吾真宗ニ在リ。(p106)
→「宗門」の意識。「八家九宗」とは異なるものとしての浄土真宗

彼漢土如キハ、天子ノ姓連綿相続セズ……又尊キ神明モ在サヌ国ナルガユヘニ、仏法モ住セザル也。(p107)
→「中国」は仏教が馴染まないことを、易姓革命の有無に求める。「大乗相応ノ地」としての「日本」と、「神明モ在サヌ国」としての「中国」。

神道ハ吾国ノ大道、儒ハ世間聖人ノ立ルトコロ、吾仏教ニオヰテ、世間教ト同一体ナレバ、聊モソノ道ヲサシテ邪ナリト云ニハ非ズ。(p108)
→単なる神道儒学批判ではなく、儒・仏・神ともに「世間教ト同一体」という認識が見受けられる。個別に絞って論難を試みる。

 
【龍温について】

1800(寛政4)−1885(明治18)。姓樋口。陸奥国会津の香光寺に生れる。1824(文政7)年に高倉学寮に入る。1839(天保10)年に京都円光寺の住職になる。1861(万延1)年には、高倉学寮の講師に就く。『急策文』(1863)・『闢邪護法論』(1863)・『総斥排仏弁』(1865)を著し、東本願寺の学寮を率いる立場として、多数の著述を残す。*1

【先行研究の概要】

辻善之助による「近世仏教堕落論」。

江戸時代になって、封建制度の立てられるに伴ひ、宗教界も亦その型に嵌り、更に幕府が耶蘇教禁制の手段として、仏教を利用し、檀家制度を定むるに及んで、仏教は全く形式化した。……僧侶は益々貴族的になり、民心は仏教を離れ、排仏論は凄まじく起こった。仏教は殆ど麻痺状態に陥り、寺院僧侶は惰性に依って、辛うじて社会上の地位を保つに過ぎなかった。*2

戦後日本の近世仏教史研究は、辻が提唱する「近世仏教堕落論」に対する批判を試みる。1970年代に入ると、辻の議論を批判する動向が活発化し、近世仏教のなかでも例外的な信仰を門徒が持ちえたという視点から、近世浄土真宗における信仰形態の研究が蓄積。いわば「抵抗主体としての真宗」を前提にした議論。近世仏教史研究は、真宗=特殊論に規定される。代表例として児玉識*3など。大桑斎は、近世日本の思想世界における真宗の独自性を強調すれば、真宗以外の仏教は否定されることになり、近世における仏教そのものの位置付けがむしろ困難になると言及。*4

2000年代に入ると、澤博勝*5 、引野享輔*6 、小林准士*7 の諸氏が、近世仏教堕落論真宗=特殊論を同時に乗り越える視座を提起。浄土真宗以外の諸派・諸宗教との連関から近世浄土真宗の位相を考察する試み。また、学的アイデンティティをめぐる「宗教学」・「仏教学」・「仏教史」の近代日本における成立過程を考察する研究が急速に蓄積。磯前順一*8 、大谷栄一*9 、オリオン・クラウタウ*10、林淳*11 など。しかし、真宗の位置付けは仏教史研究では、専門とする時代に関係なく、いまだに片付いた議論ではないというのが現状。オリオン・クラウタウによる指摘。

近世仏教における真宗の位置づけはその時代を対象とする研究者にとって乗り越えるべき問題として存在すると同様に、近代仏教研究者にとっても真宗はまた問題となっている。*12

【結語】

先行研究が示唆するように、「近代仏教の先駆者としての真宗」/「抵抗する主体としての真宗」という真宗の位置づけ自体が「仏教史」そのものに関わってきたことは見落としてはいけないだろう。だが幕末護法論をめぐる評価については、柏原裕泉が述べるように、「消極的な自己保全に終わる」という評価がいまだに一定の支持を得ているのが現状である。*13それゆえにそれは単なる保守的な教団内部における態度のあり方を表したものに過ぎないとされており、そこに思想的清新性は見出せないという理解に留まっている。しかしながらこのテクストは、様々な意味で幕末維新期における思想的状況について考察できるように思われる。たとえばこのテクストは、排仏論との論争という性格を持ちながら、同時に一般門徒に説教をする僧侶への講釈(「聖教」)を前提としている。このような視点からすれば、このテクストを通じて幕末維新期の真宗宗学のあり方も考える契機にもなる。またそのことは、幕末護法論がキリスト教国学をどのように読み、その反命題としての「真宗なるもの」という宗派意識の意味づけのプロセスを明らかにすることにも繋がるだろう。それは先行研究が提示した問題ともリンクさせながら改めて考察する価値のある課題であると思われる。もちろん、上記に付した問題について総括的に検討するなら、幕末維新や近代を主題とした宗教史・思想史研究も加味しながら洗い直す必要があることはいうまでもない。本報告では雑駁だが先行研究の流れを追うことで、現時点での課題を提示してみた。参加者の意見を請う次第である。

【参考文献】

磯前順一『近代日本の宗教言説と系譜―宗教・国家・神道』、岩波書店、2003年。
岩田真美「真宗排耶論に関する一考察―超然と月性を中心に」、『龍谷大学大学院文学研究科紀要』30集、2008年。
大桑斉『日本近世の思想と仏教』、法蔵館、1989年。
―――「徳川将軍権力と宗教」、網野善彦安丸良夫編『岩波講座天皇と王権を考える4 宗教と権威』、岩波書店、2002年。
大谷栄一「「近代仏教になる」という物語―近代日本仏教史研究の批判的継承のための理路」、『近代仏教』16号、2009年。
オリオン・クラウタウ「近代仏教と真宗の問題」、『日本思想史学』43号、2011年。
―――「近世仏教堕落論の近代的形成―記憶と忘却の明治仏教をめぐる一考察」、『宗教研究』354号、2007年。
柏原裕泉「護法思想と庶民教化」、『日本思想大系57 近世仏教の思想』、岩波書店、1973年。
ジェームズ・E・ケテラー『邪教/殉教の明治―廃仏毀釈と近代仏教』、岡田正彦訳、ぺりかん社、2006年。(Kattelaar,James E. Of Heretics and Martyrs in Meiji Japan:Buddism and Its Persection.Princeton:Princeton university press,1990.)
児玉識『近世真宗の展開過程』、吉川弘文館、1976年。
小林准士「神道講釈師の旅と儒仏論争の展開―矢野左倉太夫の活動に即して」、『島根大学法文学部社会文化論集』7号、2011年。
―――「三業惑乱と京都本屋仲間―『興復記』出版の波紋」、『書物・出版と社会変容』9号、2010年。
―――「神祇不拝の行動と論理―近世真宗の宗風をめぐる論争」、澤博勝・高埜利彦編『近世の宗教と社会3 民衆の〈知〉と宗教』、吉川弘文館、2008年。
澤博勝『近世宗教社会論』、吉川弘文館、2008年。
―――「近世民衆の仏教知と信心―真宗門徒の〈知〉」、澤博勝・高埜利彦編『近世の宗教と社会3 民衆の〈知〉と宗教』、吉川弘文館、2008年。
―――「日本における宗教的対立と共存―近世を中心に」、『歴史学研究』808号、2005年。
辻善之助『日本仏教史第十巻 近世篇四』、岩波書店、1955年。
林淳「近代日本における仏教学と宗教学」、『宗教研究』333号、2002年。
引野享輔『近世宗教世界における普遍と特殊―真宗信仰を素材として』、法蔵館、2007年。
―――「近世仏教における「宗祖」のかたち」、『日本歴史』756号、2011年。
―――「近世真宗僧侶の集書と学問―備後国沼隈郡大東坊を素材として」、『書物・出版と社会変容』3号、2007年。
福島栄寿『思想史としての「精神主義」』、法蔵館、2003年。
森和也「内在する排仏と外在する排仏」、『蓮華寺仏教研究所紀要』4号、2011年。
―――「近代仏教の自画像としての護法論」、『宗教研究』553号、2007年。
―――「幕末仏教の一構図―排仏論と護法論のはざまで」、『東方』17号、2001年。

文責:岩根卓史

*1:龍温についての伝記的研究は管見の限りではない。本報告では、柏原裕泉・薗田香融・平松令三編『真宗人名辞典』、法蔵館、1999年の該当記事に基づき作成した。

*2:辻善之助『日本仏教史第十巻 近世篇四』、岩波書店、1955年。p493−p494。

*3:児玉識『近世真宗の展開過程』、吉川弘文館、1976年。

*4:大桑斉『日本仏教の近世』、法蔵館、2003年。「江戸の真宗―研究状況と課題」を参照。

*5:澤博勝『近世宗教社会論』、吉川弘文館、2008年。

*6:引野享輔『近世宗教世界における普遍と特殊―真宗信仰を素材として』、法蔵館、2007年を参照。

*7:小林准士「神祇不拝の行動と論理―近世真宗の宗風をめぐる論争」、澤博勝・高埜利彦編『近世の宗教と社会3 民衆の〈知〉と宗教』、吉川弘文館、2008年などの諸論考を参照。

*8:磯前順一『近代日本の宗教言説と系譜―宗教・国家・神道』、岩波書店、2003年。

*9:大谷栄一「「近代仏教になる」という物語―近代日本仏教史研究の批判的継承のための理路」、『近代仏教』16号、2009年。

*10:オリオン・クラウタウ「近世仏教堕落論の近代的形成―記憶と忘却の明治仏教をめぐる一考察」、『宗教研究』354号、2007年。

*11:林淳「近代日本における仏教学と宗教学」、『宗教研究』333号、2002年。

*12:オリオン・クラウタウ「近代仏教と真宗の問題」、『日本思想史学』43号、2011年。

*13:柏原裕泉「護法思想と庶民教化」、『日本思想大系57 近世仏教の思想』、岩波書店、1973年。p537。