竜温「総斥排仏弁」―「サテ次ニ」(p112)〜「挙ルコト如是」(p114)

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【訳文】

さて次に、富永仲基・服部天游・中井積善、彼らはもはや排仏の首魁であるようなものだ。とりわけ最も非難さるべきは、富永の『出定後語』二巻、服部の『赤倮々』一巻、ならびに中井の『草茅危言』だ。
まず、この富永という者は、元々大坂の町人で、道明寺屋の吉右衛門といった。元々すぐれた才覚があって、そのとき名高かった三宅万年という儒者の門人となり、三年を経る間に、「この儒者は我が日本に害がある」と言い出し、「説弊」というものを作って、万年に見せたところ、万年は大いに怒って、たちまち富永を破門した。そのときから富永は仏書を読みかけて、ついに黄檗山に入り、一切経の板木を摺り、仏家の飯で食いつなぎ、板木を摺りながら一切経をよみ、『出定後語』を書いて大いに仏法を批判する。自らは「出定如来」と名乗って、常に「私は儒家ではない。道家ではない。仏教者でもない」と言う。万年の破門にあずかったので儒者でもない。また神道家かと言うと、『出定後語』の中で、「神道者流」と言って嘲っている。したがって神道家でもない。大坂の浪華は元々仏法有縁の地であるから、誰も『出定後語』用いる人がなく、開板はしたものの行われず、その板も書林の蔵にうずもれてあったのが、かの本居宣長という者が『玉勝間』八巻の中で長々と『出定後語』を賛嘆して、「仏道をよく学んだ法師といえども、この出定は決して破れないと思われる。これは読めば読むほど、気付かされることが多いものだ」と書いた。これをうけて、かの平田篤胤は、この『出定後語』を取り出し、我が意を得たりと、漢文が俗人に通じにくいことから、工夫をして、『出定笑語』と題して、この上ない俗語で仏法を謗り広めたのである。
また、『草茅危言』というものは、全部で五巻あり、はじめは天皇家のことから天下の政治をかき回して、厳しく仏法を排したものである。それゆえ、「これは私の死後、世に出すべきだ」と言い遺したと申すものの、「寛政紀元己酉之冬、竹山居士中井積善拝撰」とあるので、彼の本心はすなわち、自分の意見を表明するためにしたものである。この書物が世の中に出てからおよそ三十余年、ここから次第に排仏の徒が増えてきたように思われる。
こういうわけで、近ごろの排仏家の中で最も非難されてしかるべき者は、この富永・中井の両人だということを知るべきだ。その後は近ごろの人、岩垣松苗・帆足万里・頼山陽、江戸の大橋訥庵といった類にいたるまでが各々筆を執り、書物を編纂するのだが、その傍らで仏教を批判するのが自分の見識のように思えた。松苗は『国史略』を書いて、仏教のことを全て削り、もし言葉に出せば必ず批判した。また、この帆足という儒者は、「私が仏法を教えましょう」などと言って、『入学新諭』という本を書き、「その仏法というのは、少しも時代に合わない」と言うものだから、やはり仏法を排したい心持ちなのである。

さてこの頃、水戸の会沢安とかいう者が、『新論』二巻を、元々は無名氏と題して名を伏せて活字で発行していたのだが、この頃では憚りもなく名を名乗って開版している。また同人の著作に『豈好弁』一巻があり、その中で、「儒は生者の道であり陽の道だ。仏道は死者の道であり陰の道だ。故に仏道は次第に衰頽剥落する」と言って、仏道キリスト教とを並べて、ともに邪道だと言っている。また同人の著作に『草偃和言』という平仮名物があり、「日本の全ての人々はみな神を拝み、神の恩恵にあずかっている」と、儒道と神道とを並べてそれらを誉め、仏道を謗り、「仏道というものは日本の神がお好きにならないことであり、これは家が滅びる道なので、百穀の生々に益がない」と言っている。この者に三十余部の著述があるという。これが水戸流の神道だ。
次に、塩谷宕陰とかいう者に種々の著述がある。その中で『丙丁烱戒録』というもの二巻を作っている。「丙丁・丁未の年には天下に災いがある。中国でも言われていることであるが、日本は古来より、国史に依拠して丙丁の年を考えてきたところ、災いが多い。これは仏法が渡ったためである」という内容だ。ああとんでもないことだ。仏法の徳によって、ようやく国が豊かになり、民が安らかになったという利益のあったことは明らかなのに。だからこそ天下の水旱を祈らせるために、山門・寺門をお建てになるのに。
また驚いたことには、『今書』というもの二巻が、文久三年亥八月に開版した。これは、作者が下野の蒲生君平という者で、今日の国家のことを簡略に論じたものである。一部七課に分けてあり、その祀政治の科にいたると、「昔、皇極天皇の御世に、橘から生じた当世の虫が生れた。妖人があって、『これは常世の神だ』と言って、里の人をたぶらかした。今のキリシタン比叡山衆徒、ならびに浄土真宗というものは、これの同類だ」と言っている。わずかの一小部ではあるが、この書物に出てくる内容はみなこのようである。
さて、このたび九州肥前から、正司考祺という者が、『経済問答秘録』といって、全部で三十巻になる書物を出版した。その中の17・18・19・20の四巻を、僧道の部として、「そもそもこの仏法は、国家無益の法であるために、必ずや段々と衰退していくであろう」と言っている。かかる内容に始まり、微細なことに至るまでつつきだして、たとえば釈尊の出生・生国・父母の名・及びに仏の幼名、そこから仏弟のこと・袈裟のこと・蘭若のこと、しまいには末世信徒の弊悪を挙げ、その誤りを数え上げればきりがないぐらいまで、隅々にまで及んでいる。今日の時勢であって、国家の経世済民に結び付けて仏法を謗る。およそ排仏の書が多いとはいっても、厳しく残忍なものではこれに及ぶものはない。これは実に嘆くべきことだ。
上来・中古・近来と、排仏の儒者を列挙するのは以上である。


【竜温が批判している点】

○富永仲基『出定後語』:立場を持たず仏教を批判している。本居宣長平田篤胤への影響。排仏の起源。
○中井竹積『草茅危言』:本心では自分の意見を主張したいのに、自分の身の安全を考えて死後に出版するようにしている。排仏の起源。
○岩垣松苗『国史略』:仏教のことを削る(無視)。
○帆足万里『入学新論』:仏法は時代に合わない。
○会沢安『新論』:元々名を伏せていたが、最近名乗りだす。
―――『豈好弁』:仏道キリスト教とを並べて批判。
―――『草偃和言』:儒道と神道とを誉める一方で仏道を批判。
○塩谷宕陰『丙丁烱戒録』:丙丁の年に天下に災いがあったのは仏法のせいだとしている。仏法の徳により民が平安になったことを無視。
蒲生君平『今書』:キリスト教と並べて批判。
○正司考祺『経済問答秘録』:「国家無益である」という内容、些事までとりあげて批判。

一見儒者を批判ばかりしているようだが、
・立場を持たない者、自分の身の安全を優先している者
・仏法を無視する者、絶対性を認めない者
を批判しているようにも見受けられる。こうした者が「仏教の教えに反する」範疇に含まれるのだろうか。経典にはどのように書かれているのかが気になるところである。


【富永仲基とフーコーの方法論的比較】

●富永仲基の「加上」「五類」*1
・経典を歴史的言説として相対化→仏教会の反発
・学問的方法
?「加上」の原則
歴史的に先行する説に、何かを加えてその上を出ようとする論争的契機
荻生徂徠の「勝而上之」を一般化
?「三物五類」の説
言葉の意味の多様性、変化の要因と型を分類
「言に人(部派)あり」「言に世(時代)あり」…それぞれの人や宗派、時代により、用いられる意味が異なる。
「言に類(用法)あり」…五類
○「張」:元々の意味が拡張すること。拡張、抽象、譬喩。
○「偏」:実態的な意味から離れないこと。
○「泛」:意味が分化する以前の一般的用法。未発、一般、普遍。
○「磯」:一般的意味が個別的限定的意味となる。激発、深化、徹底。
○「反」:元々の意味がまったく反対の意味に転化。反意、逆用、対義。
言葉とはそもそも多義的なものであり、人に使われることによって意味を獲得する。

フーコーの「エピステメー」「秩序」*2
エピステメー
・或る与えられた一定の時代における諸連関・関係性の総体
○言説を規則性のレヴェルで分析する際に諸科学の間で発見されうる。
○諸々の認識論的形象・科学・形式化されたシステムを生み出す言説=実践を統一する。
○隣接しつつ明確に区別された言説=実践に依存する限りにおける、諸々の認識論的形象・科学の間に、側面的に存在しうる。
○認識論的形象・科学との関係における言説編成・実定性・知の分析。
○言説編制のそれぞれのうちで、認識論化・科学性・形式化などへのさまざまな移行が位置し、働くあり方。
○一致・相互従属・時間的ずれ、これらの境界を分割。
・エピステメーの記述が示す複数の本質的な特徴
○汲みつくしえない一領野を開き、決して閉じられることはありえない。
○諸連関の無際限な一領野を経めぐることを目的とする。
○分解・ずれ・生成解体の一致、の無際限に可動的な一つの総体。
○或る一定のときに、言説に課された拘束や制限の働きをとらえることを可能にする。
○言説=実践の実定性において、諸々の認識論的形象と科学との存在を可能にする。
○ある科学に対して与えられた事実が何であるかを自問するためにのみ、科学の所与を受け入れる一つの問いかけ。存在するという事実を、その問いかけがよび起す。
○事実を、歴史的実践の過程に帰着させる。
秩序 *3
○物のなかにその内部的法則としてあたえられる。
○視線、注意、言語といったものの格子をとおしてのみ実在する。
○《ある》という、生のままの事実と向いあう。
・秩序は、文化と時代に応じて、多様な姿をあらわす。
○漸次的に推移する連続的なものとして。
○細分化された非連続的なものとして。
○空間につながるもの・時間の推力によって刻々と構成されていくものとして。
○可変要素の表に近いもの・別々の整合的なものの体系によって規定されるものとして。
○次から次へと連なるか、鏡のなかで呼応しあう類似関係により合成されるものとして。
○増大する相違のまわりに組織されるものとして。
・いかなる文化においても、秩序付けのコードとよびうるものの使用と、秩序についての反省とのあいだには、秩序とその存在様態にかかわるむきだしの経験がよこたわっている。


私見

富永の方法論を見る限りでは、竜温の批判はやや的外れのようにも思われる。富永の「加上」「三物五類」の考え方には論理的に納得がいく。富永の思想そのものを批判しているわけではなく、むしろ富永の影響を受けた思想家の誤読に対して批判しているのかもしれない。もしくは、経典をテキストとして読むことに対して、仏教者の立場から批判的に取っているのかもしれない。「経世済民」ということに、仏教者の立場から何らかの独自の意見を持っているのかもしれない。
 →竜温の仏教者としての立場を考える必要がある。

文責:松本智也

*1:宮川康子「富永仲基」・「加上」、『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998年

*2:フーコー.M『知の考古学(新装版)』、中村雄二郎訳、河出書房新社、2006年、290〜292頁

*3:フーコー.M『言葉と物』、渡辺一民佐々木明訳、新潮社、1974年、18〜20頁。